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「ごめん」
 それは舞い散る桜のように、私の鼓膜に
 優しく、切なく、空しく響く。
 わかってはいた事だった。だからショックも少ないし、
 次の瞬間には笑顔でかっこよく悲劇のヒロインの一つでも
 演じられる……そう考えていた。
「……一度だけ」
 なのに。
「一度だけ、『もしも』を言わせて下さい……」
 いや。やっぱり――――なんだろう。
「もし隣に住んでいたのが私なら……」
 言葉を紡ぐ度、涙腺がほつれる。
 ヒビの隙間から漏れて零れ落ちる水滴は、脂質と電解質と蛋白質、
 そして蕭瑟を含んでいた。
「もし舞人さんが引越して行かなかったら……」
 一途と言うほど美しくはないけど、ただただ懸命に育んできた想い。
「もし離れ離れになるのが今だったら……」
 悲しみ、焦がれ、悴み、慈しみ、憂い、喜び、妬み……
 そんな日々が――――
「違う物語があったんでしょうか」
  ――――今日で、終わる。


    それは舞い散る桜のようにSS ―――Day-bye, Day―――


「……うぐっ……ひうっ……ええっ」
 泣き虫、弱虫、意気地なし。
 この頃の私を表現するには、それだけあれば十分だった。
 そんな子供をからかう子はいても、友達になってくれる子はいなかった。
 だから私はまた泣き虫になる。
『かぐら、泣いてばっかりじゃ何も変わらないのよ』
 お母さんからもそう言われ、半ば呆れられていた。
 それが正しい事は理解してるし、変わらなきゃいけない事も
 承知していた。
 自分が何で泣き虫なのか、よく考えりした。けどわからなかった。
 わからないから、また泣いた。
 怖いものや不安な事に弱い自分。
 激昂する気概も無いのに、開き直る勇気もないくせに、
 泣く事で自分の脆い心を慰める術だけは知っている、奸佞な自分が
 嫌で嫌で……また――――泣いた。
 この日もそうだ。
 子猫が車にはねられたのに。血がたくさん出て、動いていないのに。
 私はただ泣く事しか出来なかった。
 助けなきゃいけないのに。例え獣医の存在を知らなかったとしても、
 誰か助けてくれそうな大人に助けを請うだけでいいのに。
 私は、ただ、泣いていた。


「……うわぁぁぁ……」
 気が付けば、次の日も泣いている。
 子猫への哀情、自分の無力さに対するもどかしさ、
 そしてきっと――――負の感情を洗い流す為の自己防衛。
 理由は幾つもあるけど、私の取る行動はいつだって一つだ。
「えぐっ……わあああああっ!」
「おーい」
 そんな私に、声をかけてくる人がいた。
 最初は勿論戸惑った。この時の私がどんな顔をしたのか
 知っているのは――――彼だけだ。
「泣き過ぎだぞ。そんなに泣くから、干乾びて
 マンドラゴラみたいな顔になってるぞ」
「ま、まんどらごら……?」
 この時は意味がわからなかったから、後に図書館で
 調べて、愕然とした事を覚えてる。
 とにかく、これが――――私と舞人さんの出逢いだった。


 私は人見知りするタイプだ。しかもかなり重症で、
 両親以外の人に話しかけられると顔が真っ赤になってしまう。
 赤面症というらしい。
 この時も、それは発症していたと思う。けどちょうど夕方で
 私の顔だけじゃなく、舞人さんの顔も真っ赤だった。
 だからなのか――――私は初めて会ったばかりのこの人に
 泣いていた訳を話す事が出来た。
「……子猫?」
 声は震えてたし、何度も詰まったりした。でも舞人さんは
 私の話を真剣に、時に優しく頷きながら――――全部聞いてくれた。
「そっか。可愛そうにな……」
 話し終えた後、舞人さんは本当に悲しそうな顔でそう呟いた。
 でもその表情はすぐに笑顔に変わる。
「なーに、大丈夫だって! 知ってるか? 猫ってメチャクチャ
 身体柔らかいんだよ。車にドーンってはねられたようで、実は
 自ら身体を捻って衝撃を逃がしてるかもしれない」
 子供ながらに、内容は殆ど理解できなくてもそれが励ましで
 ある事だけは感じる事が出来た。けど、やっぱり子供だったから、
 余計な一言で舞人さんを困らせてしまう。
「でも、血がいっぱい……」
 舞人さんから笑みが消え、難しい顔になる。
 暫くして、電球がピカッと光ったような何か思いついた顔になった。
「野良猫は血が多いんだよ。生ネズミばっか食ってるから、
 血は一杯余ってるんだ。だから大丈夫だって! ははは……」
 笑い声が徐々に小さくなって、沈んだ顔になる。
 本当に色々な表情をみせてくれるこの人が、私には眩しく映った。
 私のどこを探しても絶対に見つからないものだから。

「だから、元気だそうよ。ね?」
 優しい声。優しい顔。
 私の人見知りが、不安が、恐怖がそれによって
 少しずつ溶かされていく。
「ね、君の名前はなんてーの?」
「……かぐら、です。芹沢かぐら」
「へえ。なんかカッコいい名前だよな」
「そ、そうですか……?」
 名前を褒められたのは初めてだった。
 それ以前に、ちゃんと自己紹介した事だって初めてだった
 かもしれない。
「うん。それで、えっと……友達に……なってくれないかな?」
「え……?」
「いやその、えっと……ほら、ここで会ったのも何かの縁だし。
 いやね、実は僕、友達100人出来るかな計画ってのを立てててさ、
 それで……」
 舞人さんの後の言葉より、一つの単語がいつまでも頭に残る。
 
 友達――――

 人見知りで、泣き虫で、弱くて、そんな自分が嫌で……
 そんな私と友達になってくれる人がいる筈無いってずっと思ってた。
 私は……

「ダメ……かな?」
 少し俯きながら舞人さんが聞いてくる。
 私はすごく申し訳ない気分になりながら、同時に
 この機会を逃しちゃいけない、と強く思った。
 友達になりたい。この人と。
 この人と色んなお話をしたい。色んな表情を見たい。
 声を聞いていたい。声を……届けたい!
「ダメじゃないです!」
 大声を出したのは、泣き声以外では初めてだった。
 それくらい必死だった。その声は、想いは――――
 きっと舞人さんに届いたと思う。
「そっか。それじゃあらためて」
 咳払いを一つ。
「飛ぶ鳥を落とす勢いのルーキーが現れた、とそこいらで有名な
 桜坂のプリンス第一候補生こと桜井舞人が君の友達に立候補しよう。
 プリンセス、受けてくれるかい?」
 言葉の意味全部はわからなかった。ただプリンスと言う
 言葉と、『さくらいまいと』が彼の名前だと言う事は
 はっきりと頭に残った。
「さくらいまいと……さん?」
「ああ」
「お友達に……なりましょう」 
「ああ!」
 この時、確かに私は笑った。舞人さんの笑顔につられて。
 そして、友達になりたいと思った人と友達になれた喜びで。
 その勢いでもう一歩踏み込む。
「あの……」

「ん?」
「明日も、会えますか?」
「……」
 舞人さんは沈痛な面持ちで黙っていた。
 明日はダメなのかな? そんな不安が過る。
 けど、現実はもっと過酷だった。
「僕、明日引っ越すんだ。だから明日は……会えない」
「え……」
 突然の、本当に突然の宣告。
 欲しかったものが、喜びが……一瞬で掌から零れていく。
「ごめん。せっかく友達になったのに」
 舞人さんの顔は、多分とても侘しそうだったと思う。
 けど、私にそれを見る余裕は無かった。
「でもさ、またすぐ会えるって。
 だからそんな泣きそうな顔しないでよ。ね?」
 確約の無い希望は優しくない。
 子供心にそれは理解していた。
「……無理……ですよ」
 舞人さんが滲む。
「私……泣き虫……だから……っ、弱っちくて……すぐ泣いて……
 だから友達出来なくて……」
 さっきまで優しかった夕陽のオレンジ色が目に痛い。 
「寂しくて……辛くて……それでまた泣いて……っ、
 それじゃダメだってお母さんから言われて……でもダメで……
 今も……っ」

 見えるもの、聞こえるもの、感じるもの、全てが痛くて。
 全部怖くて。
「こんな泣き虫な私、大っ嫌い」
 そんな自分が、どうしようもなく嫌いで。
 私は俯いて、また泣いた。
「じゃあさ、強くなろうよ」
「ふぇ……?」  
 その一声に私は顔を上げる。
 涙と夕陽に彩られた舞人さんは、キラキラと輝いて見えた。
「約束。もう泣かないって」
 こんなに弱くて泣き虫で、ろくに人と喋れない私が―――― 
 それは強引で無謀で……この頃の私に果たせるとは思えない約束。
「強くなるんだって。ホラ、指」
 でも舞人さんは『大丈夫、出来るよ』って顔で右手の小指を差し出した。
 反射的に私も小指を差し出し、絡める。
「ゆーびきーりげーんまーん、嘘ついたら髪千本のーばす」
「髪……?」
「そう。前髪だけ千本伸ばすの。目が隠れて前が見えなくなって
 すごく不便だし、なんか幽霊みたいだろ? 針千本飲ませるより
 リアリティがあって怖いから、こっちを採用」
「……ふふっ」
 思わず笑ってしまう。前髪だけ千本伸びてたら、
 確かに幽霊みたいだもの。
「ははっ」
 舞人さんも笑った。優しい笑顔だった。

『ゆーび切った!』
 二人で同時に指を離す。少し名残惜しかったけど、
 確かに糸は繋がったと確信していた。
 それが赤い糸だったかどうかは、夕陽に照らされてわからなかったけど。
「それじゃ、明日の準備しなきゃいけないから」
「うん……」
「あー! ダメダメ、そんな顔しちゃ。さっきの笑顔! ホラ!」
 おどけた顔をする舞人さんを見て、私は心の底から笑う。
 悲しいけど、切ないけど……笑う。
「よし。それじゃ……」
 納得したように一つ頷き、舞人さんは大きく息を吸い込んだ。
「ばいばーい!」
 大声で別れの言葉を解き放ち、一目散に私の前から走り去った。
 もしかしたら……もしかしたら、舞人さんも辛かったのかもしれない。
 だから大きい声で紛らしたのかもしれない。
 だから振り返りもしないで走り去ったのかもしれない。 
 私は――――それに答えなきゃいけない――――そう思った。
「うん、ばいばい!」
 舞人さんに届くように。祈るのじゃなく、ありったけの
 力を込めて、大声でそう叫んだ。
「ばいばい……」
 私の目にはもう涙は無かった。


「お母さーん!」
 息を切らせて家に帰った私は、真っ先にお母さんのいる
 台所に向かった。
「あら、どうしたの? かぐらが自分から話しかけてくるなんて
 珍しいわねえ」
「あのね、あのね……」
 この日の事を話したくてたまらなかったから。
 そして、すぐにでも聞きたい事があったから。
「プリンス……? プリンスっていうのは、王子様の事よ」
「おうじさま……」
「それがどうかしたの?」
 王子様。そう、あの人は王子様だったんだ。
 私のたった一人の王子様。明日お城に帰ってしまうけど、
 私が強くなればきっと迎えに来てくれる。白馬に乗って。
「私ね、おうじさまに会ったんだよ!」
 その日から、私は強くなるように頑張ると心に刻んだ。
 それだけでは心許なくて、メモ帳に書き込んだ。
 この日の事を決して忘れないように。
 強くなれるように――――


 舞人さんと出会って、別れて――――私の中で色んな事が変わった。
 まず、人と話す事が……得意ではないにしろ、
 普通に出来るようになった。赤面症は治らなかったけど。
 そして、その成果はハッキリと形となって現れた。
「青葉ちゃんは料理とお菓子作りが得意……と。メモメモ」
「得意って訳じゃないよ。趣味なだけだよ」
 お友達が出来た。
 森青葉ちゃん。とっても可愛くて優しくて、家事全般もこなせて……
 私よりちょっとだけ胸が大きい、色々と羨ましい女の子。
「しゃらくさいよ。てやんでいこんちくしょうだよ」
 ……たまに、よくわからない言葉を使ったりする。
「かぐら、起きなさい! こんな所で寝てると風邪ひくよ」 
「はにゃ……? ふわ〜」
「また日記書いたまま寝ちゃって。どうせ例の王子様の事を
 書いてたんでしょ。どれどれ?」
「わーっ! 見ないで見ないでーっ!」
 変わった事その2。お母さんとの関係が以前より良くなった。
 変わった事その3。ちょっとだけ賑やかに振舞えるようになった。
「何だ、かぐら。今日は朝ごはん食べないのか?」
「今日身体検査ですって。全く、体重より気にする所があるでしょうに」
「わーっ! わーっ!」
 変わった事その4。ちょっとだけ……。

 そして日々は流れ――――
「かぐら……ちゃん? え! 本当に!?」
 舞人さんは帰って来た。桜坂に、王子様が帰ってきた。

 ――――そう思っていた。

 …………
 ……
 …
「ありがとうございました!」
 堪える事の出来ない約束の破棄に、私は隠す事で最後の抵抗を
 試みた。けどそれに意味は無いし、現実は変わらない。
 ただ走る。とにかく走る。自分でもどこを走っているのか
 わからないくらい夢中で走って――――気が付けば家の前にいた。
「……」
 フラフラと歩き、玄関に辿り着く。
 整理した筈の気持ちはグチャグチャのままで、
 それでも私は普段通りの顔と声で、
「ただいま」
 そう言った。
 台所を通ると、そこにはいつもの通りお母さんがいる。
 夕食の準備はあらかた終わっているようだった。
「お母さん」
 私の声に、お母さんは首だけで反応する。
 報告――――義務もないし口にしたくない事だったが、
 私の舞人さんへの想いをからかいつつも応援してくれた
 唯一への人への礼儀は果たさなければならない。
「今日、王子様に告白してきたよ」
「……そう」
 お母さんは何も聞かない。きっと、私の目の周りを見れば
 答えはわかっただろう。でも、もしかしたら……ずっと前から、
 私と同じ時期にはもうわかっていたのかもしれない。

「かぐら」
 不意にお母さんが私の名前を呼ぶ。
 舞人さんが昔、かっこいいって褒めてくれた名前。
「何?」
「まだ教えて無かったね」
 そう言いながら、お母さんはゆっくり私の方に近付いてきた。
「今のあなたなら、泣きたい時に泣いていいのよ」
 私の身体がお母さんに包まれる。暖かく、優しく。
「強くなったものね……だから、もういいのよ。
 泣きなさい。思いっ切り」
「っ……おか……あ……っ!」
「お疲れ様」
「……わあああああああああっ!」
 糸は切れた。
 赤くは無かったその糸は、それでも私の血となって
 強さをくれたその糸は――――ゆらゆらと揺れながら、
 私から離れていった。


 暫く思い切り泣いた後、私はお母さんから離れた。
 目に映るのは、大丈夫なの? という心配顔のお母さん。
 もう涙は無い。枯れ果てた訳じゃないけど、
 自力で止められる強さは――――何とか身に付けているつもりだ。
 そして、笑顔。
「芹沢かぐら、今日はとっても疲れたので少し休みます!」
 まだ心配そうな、でも少し安心したようなお母さんに
 敬礼して、私は自分の部屋に戻った。

「……」

 窓の外の景色はまだ夕陽に照らされて、茜色を帯びている。 

 それは子供の頃に見た景色に似ていた。

『ばいばーい!』
『うん、ばいばい!』

 とっても、よく似ていた。

「……ばいばい」

 さよなら。
 
 私の王子さま――――
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